昭和52年11月27日 朝の御理解



 御理解 第2節
 「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。」

 もう三十年近くも前のことです。福岡での私の修行中の時分に、当時福岡の教会に毎朝お参りをさせてもらいました。その時分ま、申しますならば霊徳ですね。いろいろ神様にお知らせを頂く。久留米の初代の霊様を拝ませてもらうと、久留米の石橋先生がほんとに、ご生前のあの風格とそれから、又は口調をそのまま心眼に見せて下さり、または心耳心の耳に話しかけて下さる。
 桂先生を念ずると、桂先生が出ていろいろお指図を下さる。当時三代金光様がご在世中でしたが、三代金光様にお取次を願うと、三代金光様のようなお声で、いろいろお指図を下さる。もう道を歩いとっても電車に乗っておっても、もうたえず神様がずうと話しかけ続けて下さる。もうそのう御理解を頂くわけなんですけれども、あんまり次々と頂くもんですから忘れてしまう。
 『ちょうど夏の日にアイスキャンデーをね、アスファルトの道の上にいっぱいこう捨ててあるようなご心眼を頂いて、もうほんとに喉の渇いて、まあほんとに一杯の水をと思うておる人に、このアイスキャンデーを一本づつでも与えたら、どんなにか潤う事であろうけれども、電車ん中でずうっとそうして頂いとるから、勿体無い事じゃ』と、私が忘れてしまうから。丁度夏の炎天のアスファルトの上にこうして捨てるような、だからそういう勿体無い事、神様それでももう次から次ぎといろんなお知らせを下さる。
 私がいろいろ頂いとる中には、この目で追う言うならば、人間の五感のすべてにお徳というものは表れると言われておる、事を私しは自分自身体験して初めて知りました。例えばこれは椛目の時代でしたけれども、落ち穂拾いもうずうっと御結界奉仕、御結界というてご神前に奉仕しとりますから、退屈したり足が痛かったりすると、神様が『今日は落ち穂拾いに行く』と神様が仰る。もうとり上げが済んで、田すきもあっちこっちあっておる頃であの時分は、落ち穂拾いが非常に三十年前の頃は多かったんです。
 もう落ちておるとは思われないんです。ところが『さあ今から拾うぞ』と神様が仰ると、もう拾うてあるはずのその田圃にもう、ある事ある事ずうと、そこで拾うてさるかんならんほどあるんです。人間が見るより、神様が見よんなさるとですねいうならば。福岡から電車で帰ってくる時にま、神様が退屈しのぎに『今日は光を見せる』とこう仰る。もう電車ん中で、当時は光というタバコがありましたが、もう光の空き箱がもうある事ある事、もうこう車窓を眺めておると。
 レールの中に落ちとるとまでこうやって、ほう光というものが沢山光の箱が沢山あるなと思うくらいに目につくです。今私しがこうやって、教典を開かせて頂いて、そして今日も例えば、二節とこう頂くのは、この目で肉眼の目で追うて下さるのが、いわゆる目に表れてくるところのお徳です。鼻匂いね、もういつでしたでしょうかね。イカの酢味噌を頂いて、はあこれにサンショかなんかが擦り込んであるともっとおいしいけどなと、思うたら、もうその鉢にサンショの匂いがぷんぷんするんですよ。
 もうほんとに様々なまいうならば霊徳というか、そういう表れがございましたが。ある時福岡の教会にお参りさせて頂いて、御結界にも誰もおられません。一人で一心不乱にご祈念させて頂いておりました。したら初代の吉木栄蔵先生のま、お目に掛った事はございませんけども、初代の吉木栄蔵と言うて現れて下さって、いろいろと話しかけて下さる。まいろいろ頂かしてもろうて、ほんとに勿体無い勿体無い、まその当時金銭の上には大変な難儀をしておりましたけれども。
 ほんとに私し位な信心に、神様がいちいち話しかけて下さるとか、もう霊様達が話しかけて下さると、とても夢にも思わなかった事が、実際に私しの上に起きてくるもんですから、もうほんとにぼうけてしまうごと有り難く、もうほんとにこういうお徳を頂いてもったいないと言うて、神様にお礼を申さして頂いておりましたら『お前はこの徳を自分で受けておると思うか』と仰るから、「ほんとに私し位な信心でこういうお徳を頂いてもったいないと思います」と言うたら『おまえのは頂いとるとじゃない。
 貸しものじゃ』と神様が仰った。『借ものじゃ』と。もうほんとに途端に思いました。「そうでしょう。とても私し位な信心で、神様のお声を聞くとか霊様のお声を聞くとかという、もうあろうはずがない。私し位な信心でとても、頂けるはずはない」。善導寺の親先生が、当時おっしゃっておられました。「わたくしどん何十年こうしてお道の教師をしとるばってん、神の声を聞くてなんてん、聞いた事がなかて。だからあんたがつは間違いち」、もうえらぁい怒られとる時代でした。
 けれどもそうしていろいろ話しかけて下さるし、実際空論と言うですか、空なものではなくて、なら稲穂を拾いにいくといやぁ、現実に稲穂が沢山落ちとるし、さあ今日は光を見せるぞとおっしゃりゃ、もう光の箱がもうそれこそ、そして神様がちょっと離れて下さると思った途端、見えなくなるんですよ。ない落ちてないんです。なら神様が働きかけて下さると、光がもうそこにもここにも落ちてるんです。
 教祖様のご時代に、あの唐臼のお話が残っておりますよね。神が手を貸すと仰ると、もう軽るうく鼻歌まじりでひき臼を回されたというし、神が手をはなすと仰られた途端に重くなると、言った様なま、そういう現れが当時あった。だからそういう時代に、まあとにかくあたし位な者にこんなおかげを頂いてというて、なら神様が聞きなさる「そういう徳をお前が受けておると思うか」と。
 「もう勿体無い、とても私し位な信心で頂けれるはずはないのに、こんなお徳を頂いて勿体無い」とご返事をすると「おまえのは頂いとるとじゃない、借りものじゃ」とこう仰る。まただからすぐそげん思うです。「それどこじゃありますまい、私し位な信心で頂けれるはずはないと思いますと。借り物に違いはない」と。言うてご返事申し上げましたら、『その方が一生借り続ければその方のものじゃ』と仰った。(感動)
 だからねお徳というものは、だからいつどこでなくなるやら分からん、借り物ですから。信心をすれば誰でもお徳が受けられる。そこで私しはその時分のことを思うて、なら現在私しは、合楽の上に起きておる毎日、ほんとに奇跡の連続ですけれども、そういうおかげが、どうして合楽の教会に現れるかと。やはりこれはご神徳によるものだと、あたしは思わずにおられんのです。いうならばまあだ三十年あまり私しは今日まで借り続けておるんだと言う事を思うです。
 そこで思うのですけども、私しのどう言う所に神様が感じて下さっただろうか。私しのどう言う所に、神様が例え借り物であっても、なら貸して下さっておるのだろうか。私しが油断無しに例えば、一生ならこれを借り続ければ、私しは私しのものとして、その徳をあの世にも持っていけることになるのです。お徳というものはあの世にも持っていけ、この世にも残しておけるというほどしのものなんだ。だからいうならば、まあいうなら薄氷りの上を渡るような思いで。
 「もう貸さんぞ」というて取り上げられたら、それまでのこと。そこでねどう言う様な信心によって、おかげを頂くかと言う事を思うてみます時に、なら私しのその時分の修行中の時分の、自分の信心というものを思うときにです。どう言う事かとあたしは思うたところが、もう自分とか自分一家というものが、全然なかったことを今日あらためて感じさせて頂いとります。
 とにかくただ神様の一番の忠義者にお取り立て頂きたい、ただそういう一念だけであった。どこに難儀な人がある、どこに困った人があると言うと、もうそれこそ二里三里も、歩いてでもお話しに、そういうあすこに話しに行ってくれという人があると、話に行きました。勿論自転車もその当時は持ちませんでしたから、歩いてでした。いうならば自分以外のことに、いわば自分というものを空しうして、一生懸命に精進したと言う事にあるんだなと言う風に思うんです。
 だから信心というものが究極どう言う事かというと、徳を受けて人間の幸せの全てを身につけていくほどしの、ところにあるけれども、今金がない今病気をしとる、今様々な難儀があるから、その難儀の一つ一つが、例えば成就したからというて、それがお徳になるもんじゃぁない。いうならば信ずる力というものが、それによって頂き続けられていかなければならんのです。
 昨日一昨日でしたかね、加藤さんたちがああして親子三人で、毎朝お参りになります。何時間の時間をかけて毎朝参ってこられるわけです。奥さんがあのように目が不自由ですから、もうほんとに壺坂寺を反対にしたような感じですよね。(笑)壺坂寺は主人の方が目が。もうほんとにまあようあれだけ丁寧に親切に、奥さんのお世話ができられると思うて感心するのですけれども。
 ほんとにやはりおかげを頂きたいの一念が、遠方から毎日日参をされるんです。それで、このごろは有り難いことに、奥さんが肉眼は見えないけれども、心の目が開けてきよる。お知らせはもう全部その心眼によるものである。先日もご祈念をなさっておられたら、『ご主人が風船をこう膨らかしておられるところ』を頂く。大きくそしてご自分は『昆布の佃煮をしておられるところ』を頂く。お互い信心さして頂いて、まあ有り難いなあもったいないなあと言うて、それこそ心が有り難さで膨らんでくる。
 ああ信心ちゃ有り難い。ところがです。なにかちょっとまあ今度は反対のことが起こる。さみしいことが起こる。腹の立つことが起こる。折角その膨らんでおった風船が、ちょっと突つかれたら、ぴしゃぁっとなってしもうた。だからいかに有り難いのもったいないのと言うておっても、何かがあった時にもうすぐ、ちょっと突つかれたらぴしゃっとなるような信心では、お徳は受けられないぞと言う事である。
 ちょっと難儀なことがあるともうぐしゃっとし、そしてもうお参りまでしようごとねえごとなってくる。ではなくて奥さんがいわゆる昆布の佃煮をしておられる。昆布というのは、喜ぶと言う事に通じましょう。信心のその喜びをです。もう食べてしまわずに、その喜びを、それこそ集めておいて佃煮にでもするという、昆布の佃煮はいつまで置いても悪くならない。いうならばあの世にも持ってゆけ、この世にも残しておけるというのが、いうなら昆布の佃煮のようなお徳を言うのであろうと私は思う。
 そういう信心をさせて頂く。ある教会の先生が、熱心に参っておられた。その方はなかなか女の先生ですけども、教学派の先生で、御神夢を頂くとか、御心眼を頂くとかというのはおかしくて、と言った様な感じの先生であった。まだ末永先生があちらに布教に出る前でした。そして何回か参ってみえて、手紙が来た。末永先生宛てに。「私しは御心眼とか、または御神夢とか言った様なもんは、頂いたこともないが、それは信じない性分なんだ、たちだと。
 けれども合楽から帰らせて頂いたら、実はこういうのが御神夢ではなかろうかというお夢を頂いたから、親先生にお伺いをしてみてくれないか」という手紙が来た。ずうっと箇条書きにいろいろ書いてあった中に、『自分がどこにか船で船出をしておる。その船には自分ところの、長持ちとかタンスやらがいっぱい乗っておる。そしてそれを段々、沖の方に漕ぎだしていっておったところが、風が吹いてきた。船がこう揺れだした。そこでそのタンスの引き出しがこう揺れるたんべんに、海の中に飛び込もうごとある。
 だからもう一生懸命、どんなに揺れてもタンスの引き出しが、海の中に飛び込まんように、こうやって手で押さえておる』というお夢でしたというのである。ほんとに御神夢は信じん御心眼なんて、そげな事あるやろかと言うておった先生がです。これこそ御神夢というのはではなかろうかと(笑)こう思うた。でそれに対して私しが返事を言うてやりました。自分の息子さんそれから、自分の娘さんの事で、もうえらい心配を難儀な問題を持っておられて、その事がここでお取次を願われた事であった。
 もう随分長い教会ですけれども、大して教会の発展もないし、信者も自分の言う事を聞かんし、二派にも三派にも分かれたごたる風で悩んでおられた。そういうお取次をさせて頂いて帰られてからのそのお夢であった。船といやあいうなら金光大神のお徳の船に乗らせて頂いとるのが、教会の姿であろう。少し風が何でもない時にいかにも行きよるようだけれども、少し船が出だした所が、タンスの中のもんが海の中に飛び込む様なもうとにかく、自分のものをなくしてはならないと言う事だけで一生懸命なんだ。
 これではねその船にいわゆる、長持ちやらタンスを乗せとるから、信者がこれに乗ろうと思うても乗る所もない。これで信者が増えるはずはない。信者が助かるはずはない。自分のいうなら長持ちタンスはもう外に降ろして、その船いっぱいに信者が乗るようなおかげを頂いたら、有り難いでしょうという返事を書いてやった。人を助けて我れ助かれ、とこう仰る。自分の事。もうとにかく人が助かる事さえできればという、一生懸命人を助けてまわられる。
 小倉の桂先生のお弟子に、日吉ツルという先生があった。ほんとに無学文盲の方であったけれども人が助かる。自分の難儀な問題は、自分の難儀な体の上のはなかなかおかげにならんけれども、自分の話で人が助かる。桂先生が「人を助けて我助かれ」という教えを下さった。それで金光様の有り難い話をして回られる。人がどんどん助かるようになって講社ができた。いうならば今で言うならば、何々支部と言った様な、ここで言うなら支部のようなもんでしょう。
 遠賀郡からお参りをされる。十日にいっぺんづつ参られる。それで毎日自分の食べられるお米をま、二合半食べるなら一合五勺食べて、一合づつはお供えになさる。それが一升たまった時が丁度十日になる。だからそれを楽しみにお参りをされる。そういう何回も続いたある日、桂先生がはあ(感動)そのお米を御神前にお供えをなさった。そん時に御裁伝があったと言う事です。『日吉ツル真の信心になった』というお声であったそうですね。自分の食べるものを、少なくしてでも参りたい。
 同時に人を助けて我助かれ。私が今日何十年前の修行中の時分のことを《今日は》聞いて頂いたけれども、その時分にどうして。例えば借り物であっても、神様がこのようなおかげを下さっただろうかと、言う事を今改めて思うてみるのにです。自分というものがなかったと言う事なんです。ただ自分の家さえたっていきゃええ。自分の願いが成就しさえすればええ。それはね最近願いの信心と言われますから、親だから子だからと言う事が分かりゃ分かるほど、願わずにはおられんのである。
 縋らずにはおられんのである。けれども縋ったからには、もう親に任せなければならない。そして私しは身の皮剥いででも、なら人が助かる事の為にとか、世の明るくなる事の為に奉仕する。人が助かる事の為に、なら日吉ツル先生じゃないけども、一生懸命人を導いてまわる。いわゆる合楽で言うなら合楽示現活動である。自分は食べるものは食べんでも、神様へ例えばお供えをさしてもらう。
 それがもう楽しいのである。有り難いのである。私し信心をすれば誰でもと、信心をすればだんだん。おかげを頂く事によってはあ神様。まあその加藤さんのお夢じゃないけども、おかげを頂いて心がいっぱい、こう膨らんでくるでしょう。ああ有り難い神様に縁を頂いたもんだと。それがなにかの調子にまたぴしゃぁとなってしまう。けれどもこれではならじと、また一生懸命また信心を続けさしてもろうて。
 喜びの昆布の佃煮でもできる頃になるとです。もう例えば降ろうが照ろうが、もうそこは神様任せ。そして降ってもおかげなら、照ってもまたおかげ、と言った様な心の状態が開けてくる。もうすでにお徳の世界に一歩足を踏み入れておるようなものである。自分の周辺のすべてのことが、御神願成就のことのための、働きである。自分に求められる神様の、いうならば、修行である。と言う様ないき方の信心。
 今日聞いて頂いたお話は、私はほんとに、信心をすれば誰でも徳が受けられるという、信心を聞いて頂いたつもりですけれども、皆さんの信心に、こう当てはめてみて、そして成程これは、一生かかったっちゃ自分のごたる信心じゃ、おかげは受けるかもしれんけれども、お徳は受けられんなと気づかれたら一歩前進。いうならばお徳の受けられれる信心に、ひとつ精進さしてもらわなければならんと言う事でございます。
   どうぞ。